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政策部長談話 「官主導の終末期医療論議の 陥穽と拙劣さを指摘する」

官主導の終末期医療論議の陥穽と拙劣さを指摘する

 

神奈川県保険医協会

政策部長  森 壽生


 来年の医療制度改革、医療費適正化計画の一環として、厚労省主導の、終末期医療費の論議がかまびすしくなっている。現場を知らない、やみくもな素人論議の感があり、以下に批判と見解を述べる。

 

 終末期医療にかかわる費用が平成14年で9,000億円という。これは平成14年度の医療機関での死亡者数から計算している。一方国民の6割が自宅など医療機関外での死亡を望んでおり、この数字から在宅医療を充実させて自宅などでの死亡割合を4割程度まで挙げることにより医療費を削減しようとしている。しかし、ここではいくつかの基本的人権にもかかわる問題と一方、保険外へ終末期医療を移す危惧が感じ取られる。

 

 しかし、終末期医療に関して医療現場での実情も把握する必要がある。特に悪性新生物による終末、現在の医療では如何ともしがたい疾患での終末、老衰などである。このような場面で一つは医療側の利益のために、他は患者家族の無理解から、まさに死なんとする患者本人の意向とは関係ない、無慈悲で、無意味で、高額な医療が行われていることも事実である。無意味な人工呼吸器により管理された呼吸、強心薬による心拍と心電図波形のみサポートとされたモニター心電図を示されれば、家族はまさに死なんとする患者が回復するのではないかと錯覚する。このようなまさに天命が尽きようとしている患者に対して無意味な治療が一部の医療機関で行われていることを、われわれ医師側から明らかにする必要がある。さらに国民に対して本当の自然な死に方というものを医療側から国民に対して理解してもらう努力もしなければならない。

 

 終末期医療とはまさに官僚の言葉で、無味乾燥だ。それは一人の人間の人生の終焉であって、まさに死に様である。人生の最終局面をどう迎えるかは一人の人間の最後の意志であるから、どのような場所でどのように死を迎えるかは患者の意思に従うのが尊厳死である。

 しかし、患者が予め自分の意思を伝えることが出来なかった場合は家族の希望に沿うことが妥当であろう。しかし、患者が自宅で死を迎えることを希望しても家族の環境から叶えられないこともあろう。だから患者と家族の意思を考慮しつつ、どのようにして人生の最終局面を提供するかは医師の裁量である。

 

 この問題については我々医療機関も襟を正す必要があるが、患者の意思とは関係なく国の都合で死に様、死に場所を決められてはたまらない。ましてや民間の株式会社に金銭の多寡で死に場所、死に様が決められては、死んでも死に切れない。

2005年9月26日